── パスワードの強度▼パスワードの更新申請 先日、区役所からマイナンバーカードで使用している電子証明書用の暗証番号(パスワード)の更新を促す書類が届いた。 マイナンバーカードを作ってから5年が経とうとしている。国の定めた規則では、カードを作成した日から数えて5回目の誕生日の前までに更新手続きをしないとパスワードが使えなくなると言う。ただ、パスワードは使えなくてもカードだけを使うのは許されている。 マイナンバーカードには次の4種類のパスワードがある。 (1)署名用パスワード(英数字6~16文字) (2)利用者証明用パスワード(4桁) (3)住民基本台帳用パスワード(4桁) (4)券面事項入力補助用パスワード(4桁) (1),(2)は電子証明書で使われるもので、今回はそれが失効するらしい。私は、自動車の運転免許を(期限切れを利用して)自然放棄して以来、身分証の代わりになるものが欲しくて2017年にマイナンバーカードを作成した。以来、映画館や美術館などで入場する際に利用させてもらっている。 しかしこの間にパスワードを使ったのは特別定額給付金を申請したときの一度だけである。高齢者の私めがパスワードを今後も必要とするかどうか慎重に考えた末に、やはり更新しておくことに決めた。何事にも想定外のことが突然起こる世の中であるからして、もしかするとまた給付金を貰う必要が起こるかもしれない、と卑しくも(?)先読みをした訳ではない。 実は、最初にパスワードを設定したときに生じた疑問を、この機会を利用して明らかにしておきたかったのである。 ▼5年前のこと 5年前にマイナンバーカードを作成したとき、初回だったので私は区役所にカードを受取りに行ったのだが、区役所の入口のホールにはマイナンバーカードを受け取りに来たと思われる人々でごった返していた。入口で番号をもらい、その番号の呼び出しを待つ方式なのでさすがに長い行列はなかったが、座るところがない人はただ立って待つしかない状態になっていた。今日は大変な日になるなと私は思ったのを覚えている。 2時間以上待ってやっと自分の番号が呼び出しの掲示画面に表示された。窓口付近に行くと、最初だから全員が専用の端末(数台しかない!)の前に座って自らパスワードの設定作業をやらされていたのである。なるほど、これでは待たされる訳だ。 やっと私の順番になった。数少ない端末の一つに座って私はあらかじめ郵送されてきた「個人番号カード・電子証明書 設定暗証番号記載票」という用紙に記入しておいた通りにパスワードを設定しようとした。すると担当者は「英字はすべて大文字にしてください」と言うではないか。意外であった。パスワードを作るときの常識として、英字(大文字と小文字)と数字を混ぜて構成するのが推奨されている。更に特殊記号が使えるとなお良い。私は担当者に大文字に限定する理由を聞きたかったのだが、会場が異様に混んでいたので自重した。 私は指示にしたがって小文字で設定する積りだった文字をすべて大文字にしたのである。帰宅後、忘れないようにと暗証番号の記載票に大文字の英字と数字だけで構成したパスワードに書き換えて、更に事の顛末をメモしておいたのである。 その後、このときのことを思い出す度に、あれは担当者の勘違いだったのではないかと思うようになった。大文字と数字しか使えないなどということはあり得ないことだ。 しかしその後、それを疑問視したり不満を表明したりする人に一度も出会ったことが無かったから、私は、これは担当者の勘違いだと確信するようになった。今度機会があったら小文字も可能であることを確認し、パスワードの変更をしてもらおうと考えていたのである。 ▼マイナンバーカードの弱点 やっと、5年振りにその機会が訪れたのである。私は窓口で担当者に提出書類を渡しながら聞いてみた。すると担当者はパスワードの変更はできますが小文字は使えませんと言うではないか。5年前の担当者の言葉に間違いはなかったのである。小文字が使えないのなら敢えてパスワードを変更する必要はない。更新だけにしよう。 仕方なく私は、更新手続きのみをすることにして端末の前に座ったのである。既に画面には本人確認に必要な(2)のパスワードを入力する場面になっていた。それを入力して画面を見ると、 0から9までの数字を四角で囲んだものが10個、 AからZまでの英字を四角で囲んだものが26個 が整然と並べられ表示されていた。 それを見て、私はなるほどそういうことなのかと合点がいったのである。たった36個の字種しか使えないようにしてあったのである。使える字種の数が少なければ、それだけ設定時のミスは少なくなる。使うときのミスも少なくなる。これは明らかに私のような高齢者にも扱い易くするための配慮だったのかもしれないと考えた。高齢者にも優しいシステムを構築するためなのであろう。 しかしこれでいいのだろうか。大文字・小文字の区別を許せば字数は増える。字数を増やせば文字の組み合わせの数は飛躍的に増える。パスワードの安全性も飛躍的に高くなる。特殊記号を許せば更に安全性は高まるに違いない。 このシステムは、おそらく高齢者を意識して使える字数を絞ったのだろうが、それは取りも直さずパスワードの安全性を犠牲にしたことになる。カードさえ手に入れればパスワードを破るのは比較的簡単になるであろう(*1)。今後、悪用されるケースが増えていくのではあるまいか。 【注】(*1)パスワードの強度は普通5段階で評価されることが多いが、これは最低レベルの強度である。防衛策としてできることは、長いパスワードにすることしか方法がない。高齢者にとっては、無意味にも思われる長い長い文字列を記憶するのは更に大変なことである。決して高齢者に優しいシステムとは言えなくなる。 国は、健康保険証などもマイナンバーカードに統一することを考えているようだが、そのベースとなるマイナンバーカードのパスワードの仕組みが脆弱であるとすれば、日々の生活で安心して使えないことになる。多機能化するのは危険であろう。 今回のパスワードの更新手続きの際に担当者に言われたのだが「更新後24時間はパスワードを必要とする目的では使えません」とのことであった。リアルタイムで更新されないのであれば増々我々の日々の生活に影響することになる。早急の改良が望まれる。 |
2021年4月1日木曜日
マイナンバーカードの弱点
2021年3月14日日曜日
今だから話そう「『ソフトウェアの法則』の裏話」
── 私の「記憶の引出し」からコロナ禍の中で家に引き籠っていると、外部からの刺激が少ないせいかエッセイのネタがさっぱり浮かんできません。そんなとき古い資料を整理していると(“整理”と言うと聞こえは良いが、単に引っ掻き回しているだけなんですが)、昔書きたいと思ったが結局は書かないままにしてしまったテーマや出来事の数々が思い出されてくるのです。 そして、捜している資料が運よく見つかったりすると、それを読み始めて止まらなくなってしまうのです。そんなときは必ず若い頃の気持ちに戻ってしまい、私の“記憶の引出し(*1)”をフルに活用すれば、何か書けそうな気がしてくるのです(困ったものです)。そして体力が続くかどうかも考えずに年甲斐もなく厄介な仕事に挑戦してしまうのです。文章を書くことはボケ防止にもなるからと自身への言い訳に利用しているのです。 【注】(*1)「記憶の引出し」については、別途紹介することにします。 古い資料の中から偶然見つけたのですが、以下に示すような社内掲示板に載せた記事(program)の控えを発見しました。 先ず、これが掲示板の読者に向かって私が何を伝えようとしたかを読み取ってください。冒頭の日付が『ソフトウェアの法則』という本の発売日になっている点がヒントになるかもしれません。
プログラムとは、自分の意思(プログラムの内容)を人やマシンに伝えるためのものですから、伝わりさえすればどんな言語で記述されていても構いません。ここでは英語風に書いてみました。誰にでも大体の意味は分かるだろうと思います。ただ、読む人が理解したいと熱意を持って努力するかどうかで理解度も変わってくるものです。 ▼プログラムの意味 前出の“program”は、実は発売したばかりの『ソフトウェアの法則』という本を「希望者に贈呈しますよ」と伝えるための掲示だったのです。しかし『ソフトウェアの法則』という本のことを知らない人が多いと思いますから、先ず、本が作られた経緯から説明することにしましょう。 この本が出版された(1995年)当時、世間では「パーキンソンの法則」とか「マーフィーの法則」とかが有名でした。私はコンピュータのソフトウェア開発の分野で仕事をしていましたから、“ソフトウェアの法則”があっても良いのではないかと考え、ソフトウェアに関するエッセイを書き上げるとその最後の部分に、関連するテーマで“ソフトウェアの法則”の新作を添えるようになりました。 ▼掲示板へのこだわり そのときエッセイを投稿していた場所が実は全社的に活用されていた社内掲示板だったのです。いろいろな掲示板が作られていましたが、私が主に活用していた“vox”(ラテン語で“声”の意)という名の掲示板にはコンピュータ関係の情報が掲示されていましたから多くの参加者がいる特に活気のある掲示板だったと思います。ここで私は、コンピュータのソフトウェアに関する投稿を通じて多くの仲間から鍛えられてきたのです。 その結果として生まれた本ですから私は「掲示板」にこだわりたかったのです。たとえば、章番号の1,2,3‥‥は、掲示板Ⅰ, 掲示板Ⅱ, 掲示板Ⅲ‥‥ と表記されています。最後の「あとがき」の後ろに置かれた“ソフトウェアの法則集”は「特定掲示板」と命名され裏表紙の方から表表紙の方へ向かって読むように工夫されていました。しかし、こういった掲示板にこだわった造りに気が付いた人はいなかったようです。 そうやって書き溜めたエッセイと法則集とを一冊の本にまとめて出版することになったとき、私は、密かに書名を“ソフトウェアの法則”にしたいと考えました。同時に掲示板上で知り合っていろいろと協力してくれた方々にその本を贈ることができたらいいなぁと思ったのです。 多くの技術者が見る掲示板ですが、特にプログラミングに関心のある方々を選んで贈呈するにはどうしたらよいか、といろいろな方策を考えました。そしてプログラムを記述するプログラム言語と同じようにアルゴリズム(論理)を使って私の意図を program 上に詳細に記述してみたのです。 出版された日の午後、私は会社の休憩時間になってからこれを掲示板上にアップしたのです。 このプログラムで私が何を伝えたかったのか、プログラミングに関心のない方でもある程度は理解してもらえたのではないかと思います。いかがでしたか。 実は、本のタイトル(書名)を“ソフトウェアの法則”とするに当たっては大きなリスクを抱えていたのです。 当時書き留めていた“出版までの記録”(以下に示します)が残っていたので、それに沿って説明することにします。「ソフトウェアの法則」という書名を思い付いたのは原稿を出版社に渡す前のことですが、正式に出版社から決定通知をもらったのは 1995-8-25 のことでした。 ![]() 出版までの記録 出版の初期の段階から発行されるまでの8ヶ月間、このタイトルが他の出版物で使われてしまう可能性があるので心配していたのです。特に正式に書名が確定してからの2ヶ月間はストレスは相当なものでした。もし他の本で使われてしまったら書名の変更が必要になります。代わりとなる適当なタイトルは思い浮かびません。出版予定日の前日(1995-10-24)の夜になって、私はやっと「これで大丈夫だ(!)」という確信を持つことができたのでした。 そこで気が大きくなったのでしょう、お世話になった社内掲示板の仲間たちに贈呈する計画を実行に移すことにしました。単に「本を贈呈をする」と言うよりも私の「ソフトウェアと〇〇」という一連のエッセイの読者でプログラミングに関心のある方に贈りたいと思って工夫をしたのです。 program に書いた通りに10名を決定しましたが、締め切り後に2名の方が欲しいと申し出てきたので、結局12名の方々に贈呈することにし社内便で発送しました。 ところが、実は最近までずっと12名の方に贈呈したと思い込んでいたのですが、この文章を書きながら念のため過去の記録を調べてみました。すると驚いたことに14名に贈ったという記録が出てきたのです。当選者の名前と社内便の発送日時から考えて、どうやら以下のようなことがあったと解釈しました。 program の解読に成功し、かつ細かい応募条件を満たして「本が欲しい」と伝えてきた人は予想外に少なかったのです。最終的に応募者は12名となりましたが、2名だけを当選外とするのは気の毒になってしまいました。結局12名全員の当選にしてしまったのだと思います。その後で、締め切り後の応募が2名あったというのが実際のところだったようです。社内便での発送日の違いからそのように解釈しました(人の記憶などというものは本当にあてになりませんね)。 当選のためのルールを勝手に決め、その挙句に勝手に変更しているのですから世話がありません。約束通りにできなかったことを申し訳なく思っています。 後で知ったことですが、同じ東芝グループの会社間でも社内便が使えない事業場があるのだそうです。最初から応募を諦めて“goto BookStore;”に従って書店に走ってくれた方々がいたことも知りました。応募者の数が少なかったのは、多分そのためかもしれません。重ね重ね申し訳ないことでした。 「本の虫」と言うと、それは四六時中本を読んでいるような読書の好きな人のことですが、書物に取りつく“シミ”や“シバンムシ”などの本当の虫を指す場合もあります。しかしここで言う“本の虫”とはコンピュータの虫(バグ)のようなものを指しています。つまりプログラムのバグと同じで誤植のことです。 発売前に十分な校正作業を行って誤植のない状態にするべく努力するのですが、初版の段階ではいろいろな虫が発見されることが多いのです。この本も例外ではなく、残念ながら出版後にいろいろなバグが出てしまいました。それも私のミスで生じたとんでもない虫を発見してしまったのです。 発売直後のことでした。家で何気なく本のページをパラパラとめくって見ていたときに突然気が付いたのです。「ソフトウェアと環境」の章で使った挿絵に間違いを発見したのでした。この章で私は、コンピュータの開発環境について書いているのですが、その中で日本の家屋が狭いことを欧米人が兎小屋“rabbit hutch”と揶揄していることに触れました。そのため挿入したカットが以下のものだったのです。
( 修正前の挿絵 ) このカットを描いたとき、止せばよいのに表札を描いて“Rabit”という名前を書いてしまったのです。何気なく見ていて突然気が付いたのですから、普通なら自慢したい(*2)ところですが、その瞬間の私は背筋が凍り付くような想いでした。 【注】(*2)プロのプログラマになると、他人の書いたプログラムリストをチラッと見ただけでバグを見つけてしまう名人もいるのです。恥ずかしい。どうするか? こんなみっともない状態を放置することはできません。私は出版社に電話して挿絵の入れ替えをお願いしました。それが“出版までの記録”の日付 11-02 の場所に記録されています。 幸い、出版社は挿絵の入替えを許してくれました。修正されたカットは早速出版社に送られ二版以降は修正されています。修正版は私のウェッブ上の“美術館”の中に『「ソフトウェアの法則」で使った挿絵の原画集』として飾られていますが、この挿絵の原画だけはその後行方不明になっています。飾られている修正版は二版以降の印刷物からコピーしたものです。興味のある人は比べてみてください。 【追記】 ▼なお、2001-11-23 以降は『ソフトウェアの法則』は、電子版として読むことができます。 ▼『ソフトウェアの法則』の正誤表は、以下の場所で見ることができます。 http://www.hi-ho.ne.jp/skinoshita/seigohyou.htm |
2021年2月23日火曜日
今だから話そう「幾何の問題 後日談」
── いろいろな“解答”が届きました“今だから話そう(4)”で「幾何の問題・正解集…」を紹介しましたが、例の幾何の問題の公表後 私の所に送られてきた“解答”なるものの幾つかをここで紹介したいと思います。かなり前のことになるので、私めの“記憶の引出し(*1)”をフルに活用する必要がありそうです。 【注】(*1)「記憶の引出し」については別途紹介します。 問題自体は一見易しく見えるので「5分で解けた」と誤解する人が多いのですが「2分も掛からなかった(!)」という超短時間で解けたという報告が届きました。ただ、届いたのはメールの文章で以下の2行だけで証明そのものはありませんでした。
以下は、それに対する私の返信です。
その後、20数年が経過しましたが未だ何の音沙汰もありません(*2)。多分勘違いだったのでしょう。 【注】(*2)この解答者は、Webメールを使っていたので今では連絡が取れません。それにしても高校3年生(当時の)が挑戦してくれたのは嬉しいことでした。解答なるものを見せてもらえなかったのは残念ですが。 もっとも「5分で解けた」という類いの報告では、その後解答が送られてきた事例はありません。音信不通になるのはいつものことなのです。多分、解けたと勘違いし証明を書くことすらしなかったのでしょう。 テストに限らず問題が解けたと思ったら先ず証明を書いてみることです。その間に自分の勘違いに気付いたかもしれません。そして最後に日時と自分の名前を記しておくことが大切です。これでは、テストの問題が解けたのに、白紙のまま名前も書かずに答案用紙を提出するようなものです。 聞くところによると、高名な数学者のもとには「未解決の難問を証明した」と称する郵便物がよく届くそうです。そういうとき、受け取った先生は内心後ろめたさを感じながらも、そのままそっくりゴミ箱に捨てるのだそうです。もしかすると、それまで誰も思い付かなかったような方法で正しく解かれていたかもしれませんが、その可能性はほぼゼロに近いでしょうから読むのは時間の無駄なのです。妥当な判断だと思います。 しかしこの問題はそんな未解決の難問ではありません。私も偉い学者ではありませんから、送られてきた解答はすべて目を通すことにしています。そして解答を読んでから感想を述べたかったのですが、残念なことでありました。 次の例は、普通郵便の封書で送られてきたものです。現在では、その文書そのものは手元に見当たらないので記憶だけを頼りに書くことにします。 手紙はフルスカップ(*3)に手書きされたものでした。学生ではなく私と同年配の人のように思われました。 【注】(*3)フルスカップとはレポート用紙のように1枚ずつ切り離せる用紙で5ミリほどの間隔で横罫線が施されているものです。罫線はコピーすると見えなくなるので便利です。用紙は薄くて書きやすいので大学時代のレポートはこれに書いて提出することが多かったと記憶しています。証明には一部不明確な所があり(私には少し論理の飛躍があるように思えた)、数回のやり取りで手直しが行われ最終的に正解ということになりました。 この間、私はフルスカップに手書きされた文面を眺めながらこの解答者はどういう方なのかと考えていました。フルスカップは大学ごとに作られていることが多いので大学名が印刷されていたり、大学のマークの透かしが入っていたりします。仔細に観察するうちに私は大学名を判別できてしまったのです。どうやら解答者は大学の関係者のようでした。多分、大学の先生かもしれません。そう思うと私は急に心配になってきました。今まで何度か手紙のやり取りをしてきたので失礼が無かったか、保存してあった手紙のコピーを読み返すことになりました。 幸い、普段から社内の電子メール環境のもとで文章作成では鍛えられていましたからミスはなかったようです。社内の掲示板上で交流のある方々は、お互いに地位も年齢も顔さえも知らない場合が多いのです。普段からどんな人とでも同じ文体で礼儀正しい言葉遣いで文章を書くようにしていましたから、相手が企業人だろうと先生であろうと、あるいは学生や子供だろうと常に同じ調子で書いてきました。特に問題となりそうな表現はなかったのでホッとしました。 ただ、最初に名前を見たときからどこかで見た名前だなとは思っていました。どこかでお会いしている人かもしれません。大学名が分かった時点で「もしや‥‥」と思っていたのですが、私は1年程前に求人のためこの大学を訪問していたのです。そのときの記録を確認すると、間違いなく当時お会いした就職担当だった教授の名前であることが分かりました。 早速、私は気がつかなかった失礼を詫びる手紙を先生に書いたのですが、先生の方は先刻承知の上で何も触れずに問題の解答を寄せられたのだと思っていました。しかし先生からの返信によると、先生自身も気が付かずに手紙を書いていたことが明らかとなりました。珍しい経験をしたものです。 東芝社内の方からは敗北宣言のメールが届きました。それを受けて、私が掲示板に載せた報告が以下のものです。
読者からは「絶対に自分で解きたいから公開はしないで欲しい」と言われているとこれまで公言してきましたが、現在ではそれをどこで読んだかは思い出せません。「本当かよ?」と疑われないよう証拠を示しておいた方が良いと考えました。 そこで試しに、メーラー上で「公開しないで」をキーにして検索したところ、以下のものが引っ掛かりました。私信なので一部だけ切り取って紹介します。全面紹介するには、本人の了解を得る必要がありますが、現在は連絡が取れない状態なのです。心当たりの方は連絡を頂けると有難いのですが。
私の他の投稿に対するコメントをメールで頂いたのですが、「私信:伏せ字 と 雑談」というタイトルで、その中に書かれていたものでした。日付は「Date: 11 Dec 1995 14:08」となっていました。 周知の通り、既に正解集は公開されています。期待に応えることができず申し訳なく思っております。 |
2021年2月17日水曜日
トランプ・ニュース?
2021年1月16日土曜日
2020年12月29日火曜日
今だから話そう「人種差別」
── アメリカにおける人種差別▼人種差別 アメリカでは、黒人差別の問題が起こると“Black Lives Matter”(BLM)という表現を使って盛んにアピールするようになった。BLMは日本語に翻訳すると「黒人の命も大切だ」という意味になるらしい。何んとも、こなれていない訳ではある。 「黒人の命“は”大切だ」ではなく「黒人の命“も”・・・」と表現するところが重要なのだそうである。“は”では黒人以外の命は大切ではないのか?! と異論が出てくるから“も”にしたのだという。日本語の表現でこんな議論がなされていると知ったらアメリカの人たちは驚くことであろう。 英語の“Matter”は「問題」とか「重大な事」という意味だから「大切だ」とか「大事だ」と解釈しても構わないが、ここでは単に「○○問題」として固有名詞のままの方が自然で、かつ使い勝手も良くなるのではないかと思う。 更に言えば、アメリカにおける人種差別では単に白人が黒人を差別するという単純なものばかりではなくもっと重層的である。同じ白人でもいろいろな人種が混じっている国だから白人間でも差別が存在する。人種とは関係なく貧富の差で差別されたり、差別される者が更に弱い者を見つけて差別するという場合もある。もちろん日本人も差別の対象となっている。 つまりアメリカにおける人種差別では、すべての階層に渡って何らかの差別が存在している。それらは必ずしも命に係わるものばかりではなく、いじめや嫌がらせ、無実の罪に陥れるといったものまで様々なものが含まれている。そういうものを無視して“Black Lives Matter”と言って黒人への差別だけを取り上げるのはいかがなものかとも思う。したがって日本で言及するときは“黒人”も“命”も省いて単に「人種差別問題」と表現すべきではないかと思うのである。 私が仕事でアメリカに長期滞在していた頃の体験では、差別の程度は今とたいして変らないように思う(差別に関する私の当時の感度が鈍かったのかもしれないが)。しかしトランプ大統領以降の、あのあからさまな差別的発言や差別的政策には正直、驚かされている。 たとえば、警官による黒人への差別的な扱いは昔からあった。最近急に数が増えた訳ではない。今まで公になっていなかったものが暴露されるようになっただけのことである。これには日本人のある発明が寄与している。 携帯電話の技術的進歩の過程でカメラ機能が付加されたのは日本人技術者の努力によるものである。スマホにカメラ機能が常備されるようになった結果、身近に起った出来事の多くは、たまたまその場に居合わせた人のカメラで撮影される機会が増えた。ちょっとした暴行事件でも簡単に映像データとして残されるようになった。 それまで目撃証言と言えば、警察関係者からのものばかりだったから、事実が隠蔽されることが多かった。それがスマホのお陰で証拠が明るみに出るようになったのである。リアルな映像情報の存在は、想像以上に強力な決め手となることを我々は学んだのである。 ▼私の体験したこと アメリカ生活が長くなりいろいろな体験を重ねる内に、気が付くと自分も同じように人を人種で区別し常に警戒的な目で見ていることに気が付いた。 以下に、私の体験のいくつかを紹介してみよう。 (1)事例1 私が滞在していた当時のソフトウェア会社や研究所などでは、技術者同士で議論をしていても黒人の技術者が席を外すと、残った白人がその黒人の悪口を言うという場面によく出くわしたものである。私はそれを聞いていて人種差別の一端に触れたような気がしていやな気持になったものだ。そして、もう少し仲良く出来ないものかと思ったりした。 後から考えると、当時のアメリカのソフトウェア会社や研究所内の職場では滅多に黒人技術者の姿を見掛けることはなかったような気がする。黒人の女性事務員はよく見かけたが。これも人種差別の結果であることに気が付いたのは、その後十数年経ってからである。 (2)事例2 研究所で仕事をしていた当時のことである。日本人技術者3人で夜遅く帰ろうとして駐車場に出て、自分の車の置いてある場所へ向かって歩いていた。夜も遅いので車の数も少なくなっていたので遠くから自分の車が見える。よく見ると車のボディーが何か変にキラキラと光っているようだ。不思議に思って近づくとリアウインドウのガラスがすべて粉々に打ち砕かれてなくなっているではないか。ガラスの破片がボディーの上や車内の後部座席の上一面に散らばっていた。暗くて破片がよく見えないので危険である。後部座席には乗れそうにない状態になっていた。 昼間、車を駐車させたとき近くで黒人の若者たちがたむろしてこちらを見ていたのを思い出した。「やられた!」証拠はないが彼らの仕業に違いない。 3人で使っている車なので、全員前の座席に座って私が仲間を順番に自宅まで送って行ったのを覚えている。レンタカー屋で借りた車だから事故保険に入っているので金銭的な被害はないからよいが、悔しい思いだけは残った。 その他、昼休みに運動を兼ねて街中を歩いていると、遠くから黒人の子供達に石を投げられたこともある。そういうときはいちいち反応せずに無視するに限る。そういうことが度々起こると精神的にかなりタフでないと生きて行けないと思うようになる。そして自然に黒人には警戒心を持つようになっていった。気が付くと自分も差別心をもっていることに気が付いたのである。 それまでは、夜帰宅してから家の近所をジョギングしたりしていたが、これは極めて危険な行為であることをアメリカの友人に教えられた。以後、夜の運動はしないことにした。 (3)事例3 アメリカで生活するには常に車が必要である。長期間の滞在予定が決まっていれば車はリースで借りるのが費用の点で望ましい。しかし私のように技術者として派遣された場合は、滞在期間がはっきり決まっていないことが多い。プロジェクトの成否によって決まるからである。プロジェクトが突然打ち切られる場合もあるから長期間借りるのはかなりリスキーである。 そこで私は、普通は1ヶ月単位でレンタカーを契約することにしていた(これは会社の指示でもあった)。毎月契約の切れる直前にレンタカー屋へ行って再契約していたのだ。車好きの人なら、いろいろな種類のアメ車に乗りたいと思うだろう。毎月異なる車を借りればよいのだからこんな贅沢な借り方はない。しかし私は仕事の方を優先しなければならない立場だから、安全運転のためには使い慣れた同じ車を使い続ける道を選んだのである。 あるとき再契約に行くと、レンタカー屋の女性の係員が出て来て私の乗ってきた車をチェックすると言いだした。今までそんなことを要求されたことは一度もない。女性係員は外に出て来て私の乗ってきた車体の周りを一周して観察し始めた。そして「ここにキズがある」とか「ここにも擦った跡がある」と難癖を付け始めたのである。「それは借りたときからあった瑕だ」と主張しても一向に聞き入れようとしない。書類に細かく記入している。明らかに嫌がらせである。東洋人だと差別的に扱われることを私はしばしば経験していた。 私は黙って見ていることにした。たとえ瑕が付いていても保険でカバーされるから少しも困らないと分かっていたからである。 書類への記入が終わったところで、彼女は私の契約書を見てある項目を読んで慌てることになった。そこには“Full Coverage”(事故を起こしても全面的に保障される契約)という項目があり、その頭にチェック印が付いているのに気が付いたからである。 彼女が今作ったばかりの書類をどう扱うか、私は黙って見ていることにした。作った書類が無駄になったときはその人の見ている前で破棄するのがルールである。彼女は悔しそうにその紙を破り捨てたのであった。私は「ザマ~みろ」と言いたかったがグッと堪えた。実は、そんな上品(?)な言葉の英語表現を知らなかったので、何も言えなかったのである。 後で考えたのだが、あの時、日本語でよいから「ざまあみろ」と叫んでいたら、かなりの鬱憤を晴らすことができたのにと思った。私は、悔しいときは日本語で叫んで憂さを晴らすとよいことを、このとき学んだのであった。 ▼企業人の注意すべきこと 本稿ではアメリカにおける「人種差別」を取りあげた。この程度のことならなぜ今まで取りあげなかったのかと疑問に思う人がいるかもしれない。 アメリカでの人種差別については、これまで私はエッセイの類いでは触れたことがない。それは企業人として触れてはならないテーマだったからである。その理由は、東芝のようなワールドワイドに事業を展開している会社の一員である以上は、他国の恥部に触れるようなことを書いてはいけないことになっていた。たとえ書く場所が社内報のような内輪のものであっても、現地法人に勤めているその国の人たちもまた会社の一員なのである。彼らが読んで気を悪くする可能性のある記事の取り扱いに関しては慎重でなければならない。 そのために、社外に文書を発表する際は必ず会社の許可を得てから発表する規則になっている。 最近のように、ネット上でSNS等に気楽に投稿する人が多い時代では、余計なことを“つぶやいて”何かと物議を醸して世間を騒がせている人が多いのは周知のとおりである。企業に属する方々は、社外に公開する文書の管理について増々扱い難くなる時代に生きていることを自覚し、油断なさらぬよう注意されたい。 |
2020年11月29日日曜日
今だから話そう「グリーンベレー」
── もはや時効となったお話(2)長年に渡ってエッセイを書き連ねてきたが、テーマによってはどうしても書くのをためらうものがある。もちろん、個人的なことで失敗した話とか勘違いで恥をかいたような話は書きたくないのは確かだが、その類いの話はいずれ時間が経てば自ら人に話せるようになる。そう思って私は、これまでの人生で苦労したことや悩んだことなどをできるだけエッセイに書くことで身軽になって生きようと努力してきた。 一方、仕事に関することだと機密事項もあるから、会社あるいは特定の個人に迷惑が掛かる恐れもあるので、どうしてもエッセイのテーマとして取りあげるのを控えてきた。その結果、仕事に絡んで抱え込んだ悩みの持って行き場がない。どうしたらよいものか。 これまでは、親しい友人たちとの懇談の場で思い出話としてさり気なく話してしまえば身軽になれると思っていた。しかしそういう機会は案に相異してなかなか訪れないもので、いつまでも重荷を背負い続けているのが現状である。結局は“墓場まで持って行く”ことになると最近は思うようになっていた。 ところが、コロナ禍以後私の考えが少しずつ変わってきた。もはや時効として公開しても構わないのではないか、と。「今だから話そう」シリーズにしたら結構面白いかもしれない(*1)。 【注】(*1)シリーズにする程テーマが沢山あるわけではない。しかし以前紹介した“とっておきの話「コワイ先生」”は、実はその種のテーマに属していたものなのである。そこで、後から“今だから話そう「コワイ先生」”とタイトルを変更することにした。ここでは、今から45年程前、メインフレームのソフトウェア開発を担当していた頃の話を紹介したいと思う。 PL/Iというプログラム言語の処理系(コンパイラ)を開発していたときに経験した話が中心となるので業務と密接な関係がある。そのとき経験したことの多くは、実は今まで個々には紹介してきた(*2)ものである。私は、日常生活で起こる様々な出来事になぞらえて、コンピュータの技術(特にソフトウェア技術)を分かり易く紹介するという方法を編み出し「ソフトウェアと〇〇」というタイトルの一連のエッセイに仕立て上げてきた。しかしその背後にあった私の関わってきた仕事については明確には触れないできた。今回は、それに言及しなければうまく説明できない話なのである。関係者に迷惑を掛けないよう心して書くことにする。 【注】(*2)今まで紹介した技術とエッセイのタイトル一覧は、最後の▼参考資料を見てください。ブログ上でのJavascriptの表現に制限があるので、以下はホームページ上に移動します。 つづきは…[こちら]へどうぞ。 |
2020年10月22日木曜日
歩数計
2020年9月15日火曜日
とっておきの話「コワイ先生」
── もはや時効となったお話▼担任の先生 小学校時代の話である。当時通っていた学校には校内一怖いと言われている教師がいた(M先生としておこう)。多くの生徒たちが「あの先生、コワイよね」と話していたのを覚えている。本当かどうか疑わしい武勇伝を話す子もいた。私が五年生になるときにたまたまその怖い(コワイ)と言われているM先生が私の担任になってしまったのである。それまでは、ずっと女性教師が担任だったので男性教師は初めてである。増々怖さがつのってきていた。 最初の授業の日、まだ全員の席次も決まっていないので皆教室の後ろの方にたむろして立ったままでM先生がくるのを待っていた。まもなくM先生が教室に入ってくると我々の方を見て突然叫んだのである。「帽子を被っているのは誰だ!」 それは明らかに私のことであった。当時は学生帽などなかったので私は野球帽か何かを被っていたのだと思う。教壇の前に出てくるよう命ぜられた。まずいことになったと思ったが隠れている訳にはいかないので前に出て行った。私以外にも帽子を被っていた者がいて、結局3人が叱られることになった。 私はぶん殴られるかもしれないと覚悟していたが、意外にもやさしい声で「帽子はどこで被る物なのかな?」と聞かれたので「外です」と答えた。叱られる場合は相手の顔に視線を向けて話を聞くよう教育されていたのだが、M先生はウルフの様な鋭い眼光の持ち主だったので私は正視するのが怖くて、何となく先生の口元辺りに視線をずらしてお説教を聞いていた。その後はやさしい口調で諭されただけであったが、最初の怒りはどこへ行ってしまったのか、口元の形はどう考えても微笑んでいるようにしか見えない。今は叱ることを楽しんでいるように見える。不思議な先生だなぁと思ったものである。 どうやら、最初にガツンとやって全員の気持ちを引き締めておこうという作戦だったようだ。私は絶好の獲物にされてしまったのである。 以後、M先生を良く観察していてどんな場合に叱るのかが分かってくると段々と叱られないで済むようになってきた。ずっと女性教師だったので緊張感が足りなかったのだ。私はこのとき、男社会の中で生きていく上での厳しさ(?)の一端に初めて触れたのかもしれない。そして、もっと強い精神力を持つ必要があると学んだのであった(おい、本当かよ?)。 先生は運動ができるし、絵を描いたり粘土で焼き物を造ったりするのが得意で何でも器用にこなす素晴らしい先生であることが分かってきた。以後、卒業までこのM先生のお世話になった訳である。 ▼お米を貸して ときどき家庭訪問ということでM先生が予告もなく家にやってくることがあった。家の中に入る訳ではなく庭先に突然姿を現し縁側に座って母親と話し込んでいたりする。私はM先生の姿を見つけると素早く姿を消すようにしていたので、何を話していたのかは分からない。 ある秋の夜のことであった。家族全員が寝てしまった深夜になって庭に面した雨戸をホトホトと叩く音がする。内に向かって呼びかけている声も聞こえてくる。母親が雨戸を少し開いて何か話している。月明かりの中で母親と何か押し問答をしているようであった。どうやら相手はM先生の声のようである。「お米を貸して欲しい」と言っている。 後で母親から詳しく聞いたところでは、先生はどうやら麻雀に夢中になって最終電車に乗り遅れ帰宅できなくなったらしい。当時は食糧事情が悪く米が不足していたので、どこかに泊りたければ必ず米を持参する習慣になっていた。そこで、M先生は私の家で米を借りて学校の宿直室にでも泊めてもらおうと考えたのだろう。家には米はあったと思うが、母親はM先生をそのまま返す訳にはいかないと考え、先生を家に泊めてあげようと押し問答をしていたらしい。 母親が戻ってきて事の成り行きを説明してくれた。M先生は客間で寝てもらうことにしたとのことで、一同安心して眠りに着いたのであった。 翌朝眼が覚めると、M先生が家で寝ていることを思い出した。同時に私は重大なことに気が付いたのである。このままでは、先生と一緒に朝食を摂ることになるかもしれない。朝食を摂ったらすぐ学校に行く時間になるから、当然先生と一緒に家を出て登校することになる。途中では先生と何を話せば良いのか。普段先生とは一対一で話をしたことなどない。物凄く気づまりである。学校まではかなりの距離があるから、その間どうしたらよいのか。もし級友に出会ったらどうしよう。先生と一緒に登校してくる生徒などどこにもいないから、当然うわさが流れて悪友たちにからかわれることになるに違いない。不安の種が後から後から頭に浮かんでくる。これは困ったことになった。 起床してみると先生はまだ客間で寝ているとのことであった。ホッとした私は先生が起きて来る前に食事を済ませてさっさと学校へ行ってしまおうと考えた。幸いにも、出かける時間になっても先生はやはり起きてはこなかった。豪傑だなぁと私は思ったものである。 私は一人で家を出て学校へ向かったが、何も慌てることはない。先生は遅刻するに決まっているから、ゆっくりと登校すればよいのだと自分に言い聞かせた。学校に着き教室で皆と一緒にいつものように先生がくるのを待つ。先生はなかなか現れない。先生が時間通りに現れないなどということは今までなかったので皆は不審な顔をしていたが、すべての事情を知っている私は知らん顔をして何も言わないことにした。母親から口止めされた訳ではない。自分の判断でここは黙っているに限ると腹を決めたのである。皆と一緒に待ち続けることにした。 先生は大分時間が経ってから教室に悠々と現れた。そして何事もなかったかのように普段通りに授業を始めたのである。私以外の生徒たちも何事もなくいつも通りの授業風景に戻っていった。この出来事を、今では誰も憶えていないと思う。しかし大きな秘密を抱えてしまった私だけは、容易には普段の状態に戻れなかったのである。 ▼便所の落書き 帰宅後、更に驚くことがあった。便所に入ると便所の壁に大きな落書きがしてあったのである。私は先生が書いたものだとすぐ分かったが、多分母親は信じないであろうとも考えた。こういうことは男の子がするものであって、年齢的にも私以外に犯人は考えられないからである。そう考えて、私は大いにうろたえることになった。 しかし落書きをよく見ると、これは私には到底描けないことが明白となった。壁には鉛筆で直径約50センチ程のかなり大きな円(それも美しい真円だった)が描かれていて、その中に目鼻口が書き加えてある。大人にしか描けないような手慣れた作品(?)だったからである。私が描いたと思われる可能性はほとんどないことが分かった。私は直ぐに母親に報せて自分の無実を確実なものとした。母親はそれを見て唖然としていたが、それ以上何も言わなかった。先生は一体何を考えてこんな落書きをしたのだろう。変な先生だ。 先生のこの落書きは、しばらくの間はそのままになっていたが、いつの頃か母親がきれいに消し去ってしまった。私は少し残念な思いが残ったが、何も言えなかった。現在のスマホ文化のもとで育っ者だったら、早速カメラで撮影し記録に残していたことだろう。 ▼酔っぱらいの豪傑先生? 大人になってから思い返してみると、先生は酔っぱらっていたのだろうと思う。大体、麻雀に夢中になって遅くなり帰宅できなくなったというのからしてウソくさい。お米を貸して欲しいと言うのは本心ではなく、泊めてもらう積りで家に来たのだろう。本当のところは、どこかで酔いつぶれてしまい終電車に乗り遅れたのではないかと思う。今では、実に豪快な先生だと思うようになっていた。 私は、先生が引き起こしたこの破天荒な出来事の詳細をこれまで誰にも話したことがない。当時の同級生に対しては申し訳ない気持ちだけは残っている。 もし同級生に話すにしても、それにふさわしい懇談の場で話すのなら可能だが、文書にして公開するような話題ではないと思ったからである。 しかしコロナ禍以後、私の考えは少しずつ変わってきた。例年開かれていた同窓会、同期会、クラス会などの行事が軒並み無期延期となってしまったのだ。今の情勢では再び開けるようになるとは思えない。私の年齢から考えて、もう昔の仲間に会って話す機会が再び訪れることはないかもしれない。そう考えて小学校の同期生のために作ったブログ(http://kinutas27.blogspot.com/)上にこの文章を掲載することにした。もはや時効であるから構わないことにしよう。 同期会の再開は、そのうち政府が“Go To 同期会”キャンペーンでも始めてくれることだろう。それを待つことにしようではないか。 ●言葉遊び ▼パンデミック「集会禁止、どうしよう」 |
2020年8月29日土曜日
故障
2020年7月8日水曜日
ラジオと私
── ラジオを聞くと頭がよくなる?▼ラジオの思い出 私は昔からラジオを聴くのが好きだった。今でも毎日聴いている。 ラジオとの最初の出会いはいつ頃だったのか正確には思い出せないが、疎開先の長野県蓼科で玉音放送を聴いたときの記憶だけは鮮明に覚えている。当時6歳だった私は、放送の内容もその意味もよく分からないまま近所の人たちと一緒に農家の庭先に整列し、直立不動の姿勢で家の中から聞こえてくるラジオを通しての天皇のお言葉に耳を傾けていた。後で「日本は戦争で負けたらしい」と教えられたのを覚えている。抜けるような青空の下でジリジリと照り付ける強い日差しと暑さだけが記憶に残っている。 小学生時代の私は、終戦後の苦しい生活の中でラジオを聴くのが最大の楽しみの一つだった。戦時中は「警戒警報」の発令を聴くために各戸には必ずラジオがあったが、終戦後もそのラジオを使い続けていた。古いので故障したり聴き取りにくかったりと厄介な代物だったが、私は耳を押し付けるようにして夢中になって聴いていた。 有名作家の作品を毎日少しずつ朗読する番組があり、私は久米正雄の作品を毎日欠かさず聴くのを楽しみにしていた。その朗読の最終回の日にたまたまラジオが故障して聞くことができなくなってしまった。そのときの口惜しさを今でも忘れない。後年、久米正雄の作品集から該当する作品を見つけようと試みたが作品のタイトルも内容もすっかり忘れてしまっていて口惜しさが倍増しただけであった。 中学生時代だったと思うが、授業で鉱石ラジオを作成する時間があった。家で菓子が入っていた四角い小さな缶を見つけてきて、その中に組み立てた鉱石ラジオを入れ蓋をする。そして缶の側面に穴を空けてチューニングする部分を外に出し缶の外から操作ができるようにした。家でテストしたときはうまく聞こえたのだが、学校に持っていって先生に提出した後では何故かまったく聞こえなくなってしまったようだ。学友から「お前の、聞こえないぞ」と言われて口惜しい思いをしたのを覚えている。外見は一見素晴らしい出来栄えに見えたのだが、聞こえないのでは意味がない。大失敗であった。 高校生時代の私は、自分専用のラジオを手に入れることに夢中になった。兄が読んでいた「ラジオ技術」という雑誌を見てポータブルラジオを自作しようと思い立った。当時、必要な部品を集めてセットにしたものが秋葉原の電気街で売られていたのである。それを買ってきて自分で(いや、兄に助けてもらいながら)組み立てた。自分専用のラジオを持つことができただけでなく、それを屋外に持って出て好きな場所で聞くことができたのが最大の喜びであった。私にとっては画期的な出来事だったのである。 当時通っていた高校の英語担当のU先生はラジオ番組に投稿するのを趣味としておられた。夜、NHKの放送でクイズ番組を聴いていると突然投稿者として先生の名前が読み上げられ仰天したのを覚えている。 しかし勉強中にラジオを聴くことはなかった。当時はまだ“ながら族”という表現は存在していなかったのである。 企業人となってからは、通勤電車の中でどうやって時間(片道約2時間)を有効に使うかということで頭を悩ませることになる。普通は本を読んだり居眠りをしていればよいのだが、読む本がないときもある。ときには気分転換も必要になる。そんなとき、そうだ(!)ラジオがあるじゃないか、と通勤の行き帰りの4時間はラジオを聴くことを思い付いた。しかし残念ながら当時の携帯用小型ラジオはノイズを拾ってしまい音声をうまく聞き取れないのである。鉄路の上を走るのだから電車の中は特に強いノイズだらけでラジオを聴くには最悪の環境だったのである。 仕方なく私は、家でカセットテープに録音したものを電車内に持ち込んで、コンパクトなテープ再生機で聞くことにした。こうすればノイズなしのクリーンな状態でラジオの音声を楽しめる。オートリバース機能を使えば1~2時間は連続して聞くことができた。このようにして私は通勤時間帯の厳しい環境を楽しい場へと変えることに成功したのである。 その後、電車内でのノイズを消して聞きやすくした小型携帯ラジオが売り出された。私もそれを利用するようになったが、それでも聴き取りにくいところは完全には解消されていなかった。カセットテープの再生音の質の良さには到底及ばないと思ったものだ。 仕事から引退した後は、家でラジオ三昧の日々を送っている。一緒に暮らす家族の者たちはほとんどラジオというものに関心がない。リビングルームの食卓周辺にはテレビはあるがラジオは置いてない。孫たちはテレビは見るけれど、それよりもYouTubeの方に夢中になっていることが多いようだ。世代によって主となるメディアは劇的に変わってきているようである。 一方、私の書斎と寝室にはラジオがそれぞれ置いてある。私は朝ベッドの中で目覚めるとラジオを2時間程聞いてから起床する習慣にしているが、朝食時にも聞きたい番組が沢山あるので小型の携帯用ラジオをポケットに忍ばせてイヤホーンを用いて聴きながら食事をしている。平日の朝は、孫たちが登校するまでの騒がしい時間帯であるから、家族の者たちも私に話しかける余裕もなく丁度良い具合である。ラジオという有用な情報ツールがあるのに若い人たちはまるでそれを知らないようである。残念なことだ。 ▼視覚情報優位の社会 そんなある日、私はラジオで興味深い話を聞くことになる。 そのときラジオでは「ラジオと脳」というテーマで話題が盛り上がっていた。聞くところによると、ラジオ業界には「ラジオを聞くと頭がよくなる」という通説があるのだそうである。誰が言いだしたのかは定かではないが、恐らく自分たちの業界の発展を期待して無責任(?)に言い始めたものであろう。しかしこの通説が世界で初めて(!)検証されたのだ。そして、耳からの情報が脳を成長させることが分かってきたのだという。 普段ラジオを全く聴かない大学生と、ある程度聴いている大学生とを対象にして1日2時間以上1か月間ラジオの放送を聴いてもらい、その前後にMRI検査をして比較してみると右脳が2倍以上活性化されていたという。脳の部分でそれまで使われていなかった(寝ていた)部位が活性化され(起きた)状態になったという。人間の脳は意外に使われていない部分があって、それが使われ始めたというのである。 右脳と言えば、ひらめきや直感といった機能を司ると思われているが、空間をイメージする役割もあり、脳がしゃべり手の言葉を想像力で補うことで右脳が活性化したのではないかというのが専門家の意見らしい。ラジオから天気予報が流れてきたら、天候と場所とを想像力で結びつけようとする。この作業が右脳を働かせているのではないかという。 聞き手の脳は、しゃべり手が次に何を言うのか無意識に予想し補完しようとする。脳がしゃべり手と一緒に雑談をしているように情報を処理しているらしい。日常よく聴いている番組では、聞き手にしゃべり手の口調がうつることがよくあるそうだ。頭の中で話し手の話し方を再現するからであろう。 今回の検証は大学生を対象にしているが、脳の成長に年齢はまったく関係がないという。いくつになっても脳を成長させることができるそうである。 ラジオ業界の人が言い始めた通説がこうして具体的な成果に結び付いてきたのは結構なことだが喜んでばかりもいられない。実は、日本人は聞く力が衰えてきているという。脳の中はいろいろな部位に分かれていて、それぞれ役割を担っている。その中に、耳から入ってきた情報を活用する部位があり、聴覚に特化した部位が理解力や記憶力を司る部位と密接な関係にあるという。 今まで世の中では、聴覚と視覚からそれぞれ情報を取り入れていたが、スマホが普及した現在では、ほとんどが視覚からの情報を扱うようになってきている。つまり目から入ってくる視覚情報優位の社会になってしまったのである。 脳というのは、視覚優位になると相対的に聴覚系の部位がうまく働かなくなるという。一方、脳の容量は増えることはないのでどちらかが増えるとどちらかが減ってしまう。その結果、視覚優位になると人の言葉を理解したり記憶する部位が阻害されてしまう。これによって様々な弊害が起きてくる。たとえば、人の話を聞いてもその内容を覚えられない。集合場所とか集合時間とかを指示されても、昔は一発で覚えられたのに、命令を声で伝えられるようになると何回繰り返しても覚えられない人が増えてきているという。こういう経験のある人は視覚優位の“スマホ脳”になっているのかもしれない。 したがって、生の人の声を聴く機会を作って聞く力を意識的に鍛える必要がある。現在はテレワークの時代でありリモート会議が盛んでリアルな会話がしにくい環境ではあるが、リアルな会話でなくても脳がしゃべり手と雑談している感覚になれるラジオ放送を聴くのが鍛えるツールとして良いのではないか。 ▼終りに 実は私は、以前から聴覚重視派だった。学生時代の試験勉強では、テキストを読んでいて重要な文章に出会うとその部分を声を出して読みながら頭に叩き込むことを無意識の内にやっていたように思う。更に言えば、最近では聴覚と視覚の両方を同時に使うと、もっと良い結果が得られると思うようになっている。 “読み上げる声を聴きながらテキストを読む”という方法である。これが一番記憶に残る勉強法であると信じている。たとえば、私のホームページ上の「私が耳にした健康情報」という欄を見ると分かると思う。ここでは、聴覚と視覚の共用を実践して読者が健康情報を理解しやすくなるよう工夫されている。 ただ一つ問題があるとすれば、音声情報のファイルは大きな容量を占めるので保存が難しいという点である。私の場合、自分のホームページの領域内に保存していたので、あるとき突然満杯になってしまい一切の登録ができなくなってしまったことがある。慌てて調べて見ると、音声ファイルが増え過ぎてテキストファイルを置く場所がなくなってしまっていた。解決策として、取りあえず音声ファイルを大量に削除しなければならなくなった。この問題を根本的に解決するまで、健康情報の欄はしばらく休止状態になっている。 無料で使えるブログを利用すれば、テキスト情報や画像情報の保存は容易であるから保存上の問題はない。しかしなぜか音声情報だけのファイルは保存が許されていない。保存方法について、どなたか良い知恵があれば教えていただけると有難いのですが。 例えばツイッターでは、投稿できる文字情報は140文字に限られているが、これからは音声情報なら140秒(2分ちょっと)以内であれば投稿できるようになると聞いている。音声情報ファイルの重要性を見直す時期にきているのではないでしょうか。 最後のまとめ部分は、最新版見てください。 |
登録:
投稿 (Atom)







